わからん!

「わからない」と言う勇気。

 

AがBに説明するとき、説明が伝わらない。 

Aの説明力不足・Bの理解力不足、知識分野の違い、会話のテンポや相性…

それらの要因によってBの「不理解」が生じるのだが、

ここでBが「理解できなかった」と言えないと大変なことになる。

「わかったフリ」をすると大変なことになる。

 でも、「わかったフリ」はついついやってしまうことでもある。

 

 

自分よりも上の人が、たとえば上司とか先生とか、

尊敬すべき人が自分に対して難しいことを説明したとする。

まくし立てるように難しい言葉を使い、何を言っているのかよくわからなかったとする。

そして最後に「わかった?」と確認する。

実際のところそれを聞いて、さっぱりわからないんだけど、

「ああ、はい」みたいな返事をしてしまう。

…そんな返事をしてしまうのは何故?

その返事によって様々な不都合が起きることがわかっていたとしても、そんな返事をしてしまうのは何故?

 

 

なぜ短絡的に、わかったフリをしてしまうのか?

要因は2つあると思う。

①自分の理解力の乏しさをさらけ出す勇気が無いから

②相手に「私が説明力不足だから…」という申し訳なさを感じさせる事に対して申し訳ないと思うから(相手の顔を立てたいと思うから)

 

どちらも大きな問題で、人によって①のほうが、あるいは②の方が大きかったりすると思う。

 

たとえばこちらに、電話で銀行から業務連絡が来たとする。

こちらにとってわからない言葉を当たり前のようにまくし立てる。

ついつい「あっ、これは常識なんだ。この言葉が理解できない自分は恥ずかしいんだ」と思ってしまう。

説明は次々に進んでいく。わかりませんでしたと挟む暇も無いまま。

「もう一度丁寧に説明してください」と言えたとして、丁寧にもう一度説明されたとしてもその丁寧な説明がさっぱりわからない。「もう一度」を繰り返していると、相手は苦笑いをする。

①こちらのバカさへの苦笑いか?

②自身の説明力不足を自覚しての苦笑いか?

とにかくそうなると気まずい。

気まずい状況が訪れそうであれば回避したいからわかったフリをするのである。わかったフリをすれば、気まずい状況は回避できるのである。

 

(この状況は「目上の人が説明をしていると思っている」というのが結構大きなファクターというかミソだったりもする)((実際大人だからというのもあるが))

 

説明する側には説明する側で、事務員には事務員の立場や常識があり、当たり前の言葉を伝えているつもりなのである。

大学生が企業の面接で、自分の研究内容を発表する際も同じだろう。

目上の人に対するアピールの場で、専門用語をまくし立てて自分を大きく見せようとする。

いや、そうじゃなくても、ついつい専門用語が出てしまうのだ。自分にとって常識なのだ。どこまでの知識が常識なのか、ピンと来ていない。ピンと来ようがないのだ。

いままで長い時間をかけた研究を話しているだけで、常識を言っているつもりなんだから。どうしようもない。

だから相手がわからない部分は「わかりません」といわなければコミュニケーションは成立しない。「わかったフリ」をされても、わかっていないのだから、宇宙人との対話のようになって「なんだかわからなかったな」という感想が残るだけである。

 

説明する側にとっては「わからない」と言って欲しい。コミュニケーションを成立させるために、切実にわからないと言って欲しいのだ。

わからないと繰り返されたら、苦笑いしたくなるだろう。その要因は

①こいつ、バカなのか?

②俺は説明が下手なんだな…スマンな…

である。

だから、聞いている相手は「わからない」と言えなくなる。