創作者が古典を読まなければ、文明は滅びの道をいく

創作者が古典を読まなければ、文明は滅びの道をいく。

古典を尊重しない人気作品ばかりが世の中にはびこるようになると、大衆の精神は歴史から断絶され、文化は先細りに衰退し、その国は新興国家と同じになってしまう。

 

日本の昔話と、グリム童話や中国の寓話は全く違うという。

日本ではシビアな現実を突きつける描写は排除されているので、平和ボケした国民が育ってしまうとか聞いたことがある。物語の影響は絶大だ。物語は、伝達する手段として最も強力なものだ。主人公に自分を重ね合わせ、追体験できるからだ。人格形成に大きく影響するのだ。

 だから道徳的な作品が読まれ続けることで国民の精神性が保たれる。古典は最も道徳的とされるから語り継がれていくのだ。

道徳性の高い作品が人気にならねばならない。人気作品は道徳的でなければならない。PTAのやっている事がこれである。

 

子供むけの昔話だけではなく、大人向けの文学だろうが、漫画だろうが、大衆娯楽だろうが同じである。やはり崇高でなければならない。快楽の追求のみで非道徳的な作品は、長期の目線ではよくない部分があるのである。もちろん多様性があるからこそ文化なのであるが、メジャーな作品は道徳的であることが望まれるのだ。

ただ、説教くさい作品はつまらない。創作者がそのテクニックで、面白くて、説教くさくなくて、精神性の高い作品を作ることを目指すべきなのである。文化の維持を目的とするならば。

歌舞伎でも時代劇でも、たとえば勧善懲悪だとか因果応報だとかが表現されているのである。ときには難しいテーマに挑んだりするのである。今も昔も、その役割が必須だったのである。

 

 

古典を現代風にアレンジし、大衆にエンターテイメントとして提供する、実力のある語り部がいなければ、文化の高度さは保たれないのである。