幸も不幸も相対評価

 ひとが幸福や不幸を感じる、ということは、

自身にある価値観によって自身の状況を評価した結果なんだと思う。

 

 人のあらゆる心労は、基底と現況の相対評価によるものだと思う。

「怒られるとつらい」という価値観の構築と、「実際に怒られることをしてしまった」という現況のコンビネーションによってはじめて「つらい」を感じると思う。

 

 高学歴であれば優れていて、優れていれば優越感を感じるということも、すべて自身が築いてきた価値観がそのように評価しているから感じられる幸福感なのだ。

幸福は、自身にある価値観(基底)によって自身の状況(現況)を評価した、相対評価である。一般的には、基底の部分が無視されているというか、気づかれていない。お金があれば幸せだと当たり前に思われているし、「お金があれば幸せだ」ということが、知らず知らずに当たり前の観念として定着しているのだ。仮に「お金があるほど不幸だ」という価値観が根付いている人がいれば、幸福の基準は一般人と逆転するだろう。プライドやコンプレックスは肥大化した価値観なのだ。

 

過労死」する人は、自身の価値観の構築と自身の状況に矛盾が生じてしまったんだと思う。死んでまで働こう、なんて思うのは、僕は間違っていると思うが、当事者はそれが正しいとしか思えない状況だったのだろう。自分の命をないがしろにするほどの価値観を自分の中に作ってしまったということだ。といってもそれは特攻隊でも同じ。人を助けるために自己犠牲する人も同じ。今まで生きてきて培ってきた自分自身の価値観に殺されるということだ。

 戦争から逃げ出して生き延びた老人の話をたまに聴くが、「結局生きてた者が勝者だ」という。僕もそう思う。

 僕が築いたのは「自分の命に勝るものは無い」という価値観だ。