日本の得手不得手

日本は…

技術を進歩させることができるが、

技術の進歩に価値観を追従させることが苦手である。

時代は急激に変化する。それに対し、ガチガチに組まれた日本の組織は柔軟な対応ができない。

堅牢・堅実なやり方で進歩させてきたのに、突然、柔軟さが求められる時代になってしまった。自分自身の首を絞めている。

新聞の切り抜き

5年前くらいに、企業の研修で、外部のおっさんが講演をした。

「情報収集が大事だ。新聞を読んで印象的な記事は切り抜きをしてファイリングしろ!」

だけどそれは前時代の成功法だと思う。

昔と今は違う。

 

今はそんなまどろっこしいことなんてとてもやってられない人が多数だと思う。

現在はネットにも情報にあふれているし、娯楽がいくらでもある。

新聞の切り抜きなんてやってられない。

 

企業の研修内容は、前時代的だ。

企業は、前時代の基準の成功の法則を教えようとする。

時代の流れは速い。

 

今の社会を生き抜く方法はもう、適切に、誘惑に流されずにネットで適切な情報を集め行動に移すことでしかない気がする。

新聞が情報ソースだった世界とは全く違う。

ツイッターは、同じ内容でも絵だからRTされる

twitterには、ただ言葉を並べたツイートと、絵・漫画などを添付したツイートがあるけど。

言葉による表現はもうみんな飽和した感があって、よほど意外な発言でないとfavRT等の反応はない。

同じ内容でも、絵によるわかりやすい表現にすると、「これは絵だからわかりやすいな!ほかの人にもわからせたい!」という気持ちからRTが生まれる。

読んだ

ハインラインSF小説を読んでみた。

リアルさとディティールがすさまじい。

 

ストーリーとしては序盤に立案した計画を最後まで遂行しているだけなんだけど、

終始面白く読んでいられる。

あの計画を実行に移すのはいつだろうかと待ち遠しくなる。(実行するのは最後なんだけど。)

瞬間瞬間の展開の面白さも大事だけど、「待ち遠しさ」は作品全体の面白さを底上げしてくれる。

ドラゴンボールだって、調子に乗ってる悪役をいつ悟空が瞬殺するのかワクワクするし。

 

物語というのは、

・第一にエンターテイメントであること。

・第二に人を良い方向に導くこと。

と思っている。

 

(余談だけどバーナード嬢は人を良い方向に導くエンターテイメントとしてこんな方法があったのか!と思った。)

 

 ここからいまいちまとまってない考え。

 

人を動かすエンターテイメントは、基本的にリアリティが大切だ。

リアリティは作家自身の経験を反映するものから生まれやすい。

作者の作りたいものはなにか。それも変わり続ける。

年を取って知識が増えると、イデオロギー的な主張も組み込みたくなるだろう。

イデオロギー的なマクロな事をリアルというミクロに落として描くのは相当な知識とテクニックが必要だ。実体験を語るなら簡単だが、エンターテイメントの物語のベースに載せないといけないからだ。

だけど、それをやるのがベテランだ。

 

 

 

 

成功者のバイアス

実業家や官僚のような知識人にも、自信を持って行動する派と他人の意見を尊重する派があると思う。

他人の意見を信用しないタイプだから行動派になり、成功者になり実権を持つというバイアスが社会には存在するのでは?