神様がいるのかいないのかを考えるには、
「神がいる」「神はいない」というふたつの材料が必要になる。
産まれてからずっと「神がいる」とばかり聞かされていたら「いないかも?」と疑うこともできない。
ふたつの対極の論があって初めて考えることが可能になる。
極論があるから人は考えることができる。
「ポケモンGOなんて愚かだ」と誰かが言ったから、誰かが反論のために思考することができた。
もし誰も言わなかったら、みんなの思考は放棄されていた。歯止めが利かなくなるかもしれない。
誰かが極論を発言することによって全体のバランスが保たれるんだと思う。